ライフキャリア: 社会人 / 検索結果: 7件
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Archived no. 010
REPORT
現代的映像の温度:後編ジャン・ルーシュの「共有された人類学」から辿り直す
小川は前回の記事でこう結論づけた——限りなく透明に、映像を映像以上でもそれ以下でもなく、ひたすら零度の領域で捉え返し、「記録と伝達」を超えて、純然と見ること——。本稿では、映像人類学の用語定義から、ジャン・ルーシュの「共有された人類学」を抜き出し、「根拠のない信頼」までを辿り直す。ドゥルーズ、ヴィトカツィを経由した先の「顔」はいま、何をもたらしてくれるのだろうか。 -
Archived no. 009
REPORT
現代的映像の温度:前編断片的な映像から捉え返す、根拠のない信頼。映像人類学ワークショップから
人類学のなかに、“映像人類学”と呼ばれる分野がある。映像を通したフィールドでの記録や出来事を扱いながら、そこで可能な思考について研究する、この映像人類学のささやかな実践のために、藤田周(*1)と橋爪太作(*2)によるワークショップに小川は参加した。そこで感じた詩学は、情報の濁流を生き抜く私たちの実践にも近いものだった。 -
Archived no. 008
REPORT
可能なことをつなぎ止めて、ともに覚悟を共有するアーティスト・ラン・レジデンス「6okken」その定例ミーティングから。
アートと学びについて、若手からその視点や考えを学ぶ連載「若者との学び」。その第一回は、ギャラリー「NEORT++」キュレーターとして活動するwaxogawa/小川楽生による、山梨県河口湖に位置する6okken[ろっけん]のレビューだ。ここでは、アーティスト(*1) 、キュレーター、編集者、インストーラー (*2)、研究者……といった表現に関わる生活者たちが、ゆるやかに覚悟を共有しながら組織を運営している。そこで数多くある問題を止血しながら、それぞれの生活と表現をどう両立させているのか、6okkenの定例ミーティングと議事録から探ってみた。そこにあったのは、時空間を超えて生を結ぶテクスト群だった。 -
Archived no. 007
INTERVIEW
千住だじゃれ音楽祭で野村誠が目指す“適度で中途半端”な表現
気軽にだじゃれ(駄洒落)を言い合うことで、そこから即興音楽を生み出していく。それが、地域の人々とともに作り上げる音楽プロジェクト「千住だじゃれ音楽祭」だ。2011年に東京・千住で音楽家の野村誠さんを中心としてスタートし、これまで国内外で一風変わった活動を展開してきた。そんなだじゃれ音楽の中核を担っているのが「だじゃれ音楽研究会」のメンバーたち。なぜ研究会なのか? 「駄」こそが大事だという、その在り方とは? 野村さんに話を聞いた。 -
Archived no. 005
REPORT
日常を慈しみ楽しむ市井のクリエイティビティ 宮田明日鹿「港まち手芸部」
宮田明日鹿のアートプロジェクト「港まち手芸部」は、近隣に住む者が集まって手芸の時間をともに過ごすことで、交流やものづくりを促す試みだ。他愛もないおしゃべりをしながら、手袋や帽子などを編んでは形にしていく。そこにあるのは、現代アートとしての技術も難解さもない、市井のクリエイティビティが静かに息づいている時間だ。 -
Archived no. 003
連載 / INTERVIEW
世界をつなぎ直す、笠原広一の試み表現・研究・教育をまたぐ「アートグラフィー」
東京学芸大学教育学部准教授・笠原広一が2019年3月に上梓した『アートグラフィー −芸術家/研究者/教育者として生きる探求の技法−』は、美術教育に留まらない、社会生活における学びの姿勢を提案している。[a/r/tography]というスペルが示唆する、その意義と実践はどのようなものなのか。笠原に話を聞いた。 -
Archived no. 001
INTERVIEW
私たちは覚醒へと回帰できるのか。脇田玲のアート&サイエンスの探求
慶應義塾大学環境情報学部(SFC)の教授やアーティストとして活動しながら民間企業にも関わり、多彩に活躍する脇田玲。様々な角度から社会に関わりクリエイティビティを起動する彼は、“学び”をどのように捉え、表現活動を展開しているのだろうか。脇田独自の“覚醒[awakening]”のあり方を探る。