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Archived no.005
REPORT

日常を慈しみ楽しむ市井のクリエイティビティ 宮田明日鹿「港まち手芸部」

宮田明日鹿のアートプロジェクト「港まち手芸部」は、近隣に住む者が集まって手芸の時間をともに過ごすことで、交流やものづくりを促す試みだ。他愛もないおしゃべりをしながら、手袋や帽子などを編んでは形にしていく。そこにあるのは、現代アートとしての技術も難解さもない、市井のクリエイティビティが静かに息づいている時間だ。
取材=田尾圭一郎

その日の朝になると、愛知県名古屋市にあるまちづくりの拠点、港まちポットラックビル(*1)にポツポツと人が集まり始めた。60〜80代の人が多いが、若い世代も何人かいる。ラウンジにあるソファに座り、自宅で編んできた物を披露したり編み方を教え合ったり、あるいは近所のおいしいお店や世間話など日常の会話が行われる。何も知らずにその様子を見れば、それは公民館などで開催される手芸サークルと変わらないだろう。だがこの集まりは、アートプロジェクト「港まち手芸部」としてアーティストの宮田明日鹿によって企画・運営されている。そこにどのような意味付けが可能なのだろうか。

港まち手芸部の様子

宮田は、2013年に家庭用編み機の基礎を「The Knitting Factory」やベルリンのブランドで学んだのち、編み物をモチーフにした作品を制作してきた。そのいっぽうで2017年に、一般から有志を募り編み物の場を共有する「港まち手芸部」の活動を、港まちづくり協議会の提案公募型事業に採択されて、港まちポットラックビルで開始した。月に4回ほど、ささやかに続けられた手芸という行為とその集まりは、ソーシャリー・エンゲージド・アート[Socially Engaged Art](*2)として、あるいは(評価の対象になってこなかった女性の表現活動として)ジェンダー・イシューに対する批評として評価され、2021年には金沢で、そして2022年に愛知県で開催された芸術祭「あいち2022」では有松で手芸部が行われ(*3)、多くの人に知られた。それらはそれぞれ、形成されるコミュニティの空気感や組織体としてのあり方が少しずつ異なるが、港まちポットラックビルでの「港まち手芸部」はそのオリジンとして、メンバーの移り変わりやコロナ禍での中断はありながらも継続されてきた。

港まち手芸部の流動的な関係性

巷には手芸教室の類も少なくないが、そこには先生と生徒がいて、少なからず上下関係がある。いっぽうで港まち手芸部は、みなが極めてフラットだ。メンバー同士は得意なところをそれぞれ教え合い、教わり合う。企画・運営している宮田でさえも、教えてもらい、学び合っている。集まったメンバーに用具や毛糸を手渡す/つくられた編み物を写真におさめる/一人になっている人に話しかける……といったサポートに徹していて、そこに“現代アーティスト”らしい振る舞いや啓蒙的な姿勢は見られない。各人が何かの立場に固定されることを丁寧に避ける港まち手芸部は、あくまで一人ひとりが楽しむ活動という前提を、大事にしている。

例えばコロナ禍での休止やマーケットの参加など、手芸部全体に関わる決め事も、宮田は自分ひとりで結論を出さずメンバーの声を拾い上げる。みんなの前で意見を求めても声をあげられる人は限られているため、個別に数人に意見を聞き、小さな声を取りこぼさないようにしている。宮田自身も、この継続されてきた港まち手芸部の活動を、自分の居場所になっていると考える。

「楽しいのでみんなに会いに行くって感じですね。港にもともと自分のアトリエを構えていたので毎日のように通っていたけど、あるとき『ずっと続けるんだよね』と参加者の方から言われて、継続することをはじめて意識しました。それからしばらくしてアトリエが取り壊しになり三重県に移住しましたが、辞めるきっかけがない限りは続けようと思っています」。

「金沢と有松の手芸部を引き継いでくれた人には『嫌になったら辞めてね』と伝えています。運営している人がやりたくなくなったら、無理に続けるべきではないと思うので。でも、集まると自分のつくったものや人がつくったものを知ることができて、褒め合って教え合って、いろんなアイデアが湧いてくるんです。だから続けているのだと思います」。

つくった編み物を見せ合い、編み方を教え合う

手芸の立ち位置を揺さぶる

宮田は活動のアーカイブにも力を入れており、港まち手芸部の日々の記録冊子を3年に1回のペースで冊子にまとめている。3月にはちょうど2号目の冊子ができ、いまは3号目をつくることが目標だという。また、港まち手芸部で出会った5人の作品をまとめ、作品集として「あいち2022」で『Knitting`n Stitching Archives』(*4)も発表している。

「一言で手芸と言っても幅広いです。技術もひとつでないし、刺繍もあったりキルトもあったりします。それがどうやって区別されているかというと、女性が家でやっていることが手芸と呼ばれる。染織は工芸になるけど、やっぱり家の中に置かれていると、どんなに素晴らしいものでもそういった見えかたになっています。すごい技術を持っているのに経済活動として売らず、対外的に発表しているわけでもなく、ただ淡々とつくってきている彼らと、作品として売ったり発表したりしている私では、何がちがうのだろうと考え続けています」。

「この街で何が起こっているかを残していきたいし、手芸という女性が家の中で担ってきたものが、いまの社会からだとどう見えるのだろう、と自分なりに言葉にしていく作業をやっているんだと思います。労働やジェンダーの問題とか、港まち手芸部の活動の場では声を大にして言わなくても、会話の節々から感じとれたり、見えてくることがあります」。

「家の中で行われてきた編み物を作品として外に出して展示すると、ちがう見られ方をすることもあります。ただ家父長制の中で女性が家の中でしてきた手仕事として、本当に終わらせていいのか、という問題提起を私は投げかけていたのだと思います。いっぽうで港まち手芸部のメンバーの中には、世の中への発表を喜んでくれる人と、好きでやっているだけだから……と謙遜する人と、両方います。私はただただ、『なんでこんなにつくれるの?すごい!』といった気持ちだけなのですが、当人が嫌がっていたらやってはいけないことなので、気をつけながらその人がつくったものをどうやって見せるか、伝えていくか、考えています」。

港まち手芸部の活動をまとめた冊子の2号目

そんな港まち手芸部の活動や宮田の振る舞いは、“メディア”という立場から見て実に取り上げづらい。何か“新しい”ことや“重要なこと”をしているのでなく、編み物をする/話をする/世間話をして笑う/手土産を持ち寄る……といった、特別でないことを行っているように見えるからだ。だがそれによって、現代アートに潜みがちな特権性を回避し、加速化(*5)やパラレル化(*6)の進む現代社会で失われつつある人間性を取り戻させてくれるようにも感じられる。

アートが社会に浸透していくなかで、交流の活性や経済効果など、様々な変容がアートには期待されるようになっている。それ自体は喜ぶべきことかもしれないが、いっぽうで大きな文脈や別の狙いにアートが回収されていく懸念は潜み続ける。港まち手芸部で行われている営為と宮田の立ち振る舞いには、社会や組織の狙いを達成させたり向上させたりするためでなく、ただ表現自体や自分自身のために行う……そんなシンプルな有り様が通底している(そしてそれらが新鮮に感じられる点で、この取り組みは現代アートとしての批評性も内包している)。

ジェンダーや労働などの問題提起を行う現代アートという側面と、交流やつくることの喜びを介在させる日常の表現という側面を混在させながら、その中心で港まち手芸部のメンバーたちはただただ楽しもうと活動を続けてきた。その曖昧さや平熱であることが、現代社会では稀有な、やわらかなコミュニティを維持させているのだろう。

宮田 明日鹿/Asuka Miyata

1985年、愛知県生まれ。三重県在住。2007年、桑沢デザイン研究所卒業。ニット、テキスタイル、改造した家庭用電子編み機、手芸などの技法で作品を制作。自分や他人の記憶を用いて新たな物語を立ち上げ、顧みることなく継承されてきた慣習や風習に疑問を投げかけている。近年では、手芸文化を通して様々なまちの人とコミュニティを形成するプロジェクトを各地で立ち上げている。おしゃべりしながら編む手を動かし、様々な世代が学び合い、何気ない会話を交わすなかで、見過ごされてきた出来事や家のなかの事柄も社会と密接につながっていることを参加者自身が再認識する作業を試みている。
https://asukamiyata.com