キーワード: waxogawa/小川楽生 / 検索結果: 3件
-
Archived no. 010
REPORT
現代的映像の温度:後編ジャン・ルーシュの「共有された人類学」から辿り直す
小川は前回の記事でこう結論づけた——限りなく透明に、映像を映像以上でもそれ以下でもなく、ひたすら零度の領域で捉え返し、「記録と伝達」を超えて、純然と見ること——。本稿では、映像人類学の用語定義から、ジャン・ルーシュの「共有された人類学」を抜き出し、「根拠のない信頼」までを辿り直す。ドゥルーズ、ヴィトカツィを経由した先の「顔」はいま、何をもたらしてくれるのだろうか。 -
Archived no. 009
REPORT
現代的映像の温度:前編断片的な映像から捉え返す、根拠のない信頼。映像人類学ワークショップから
人類学のなかに、“映像人類学”と呼ばれる分野がある。映像を通したフィールドでの記録や出来事を扱いながら、そこで可能な思考について研究する、この映像人類学のささやかな実践のために、藤田周(*1)と橋爪太作(*2)によるワークショップに小川は参加した。そこで感じた詩学は、情報の濁流を生き抜く私たちの実践にも近いものだった。 -
Archived no. 008
REPORT
可能なことをつなぎ止めて、ともに覚悟を共有するアーティスト・ラン・レジデンス「6okken」その定例ミーティングから。
アートと学びについて、若手からその視点や考えを学ぶ連載「若者との学び」。その第一回は、ギャラリー「NEORT++」キュレーターとして活動するwaxogawa/小川楽生による、山梨県河口湖に位置する6okken[ろっけん]のレビューだ。ここでは、アーティスト(*1) 、キュレーター、編集者、インストーラー (*2)、研究者……といった表現に関わる生活者たちが、ゆるやかに覚悟を共有しながら組織を運営している。そこで数多くある問題を止血しながら、それぞれの生活と表現をどう両立させているのか、6okkenの定例ミーティングと議事録から探ってみた。そこにあったのは、時空間を超えて生を結ぶテクスト群だった。